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05.オータム・ロンロン

 ロンゲくん、転じてロンロンと呼ばれている。ロン毛ってさ。昭和みてぇ。
 呼ぶ方が慣れるまで、ちょっと笑い混じりになってしまうあだ名だ。パンダっぽくもある。
 オレにはオレのこだわりがある。毛先はワックスでちょっとハネさせて、根本はドライヤーだけでセットする。扱いやすい毛質で、朝にきちんとセットしておけばよっぽど風の強い日でもなければそうは崩れない。ヘアオイルは美容室で買ったものしか使わない。貴重なバイトの金を使うことにためらいがないワケじゃないが、長髪と清潔感を両立するのにはそれなりに気を遣う。校則だってスレスレだ。グレーなところを行っているぶん目をつけられないように教師とのコミュニケーションは欠かさない。
 
 今日だって、体育祭の準備のために空き教室の使用許可を取ってきたのはオレだ。もちろん許可を出したマツダは仲が良い生徒だからってヒイキしない。だが教師に許可申請を出すのは、初めてのヤツはけっこう緊張するものだ。それくらいは慣れているオレがやってやりますとも。

「まりりん、団旗って外に置いといていいんだっけ?」
「雨降るかもだし、教室のがいいんじゃない? 明日朝早く来て吊るしたらいいでしょ」
 
 キャラの割に堅実な回答をよこしたのは平井海、海と書いてまりんと読む。体育祭のクラス代表で、前日の今現在なんかはあちこち引っ張りだこだ。ギャルみたいな雰囲気で真面目なところにオレは親近感を覚えている。
 お調子者の野田が平井にダルく絡んでいく。「早起きすんの? まりりんいるなら俺も早く来ちゃおっかなァン」ふざけているフリをして、こいつは平井に気があることをオレは知っている。
「うみちゃん、私団旗係だからやっとく。朝はいろいろ忙しいでしょ」
「ヒコ」
 影見ハルコ。平井海の親友が話に割り込んでくる。クラスで自由にペアを組めと言われたら自然と隣になっているような二人組だ。ギャルっぽい平井といわゆる陰キャっぽい影見がどういう流れで友だちになったかオレは知らないが、二人がセットだという認識はクラス全員にある。
 影見はわざと空気を読まなかったのだろう。だいたいいつもの影見日子。野田はちょっとムッとした顔をして、それでもしつこく食い下がりはしなかった。「マジ」に取られるのは嫌なのだ。
 なんとなく、この流れで影見が悪者になるのは嫌だった。
「野田ァ、応援の最終確認あるだろ。どっちにしろ早く来るんだよお前は」
「そーじゃん! てかロンロンもやん! 朝、時間合わせよぉや」
 お調子者にはお調子者なりに、ケラケラ笑って機嫌を直した。カラッとした男だ、とても助かる。

「まりりん、そろそろ椅子出さんと」
「あ、そか……野田、みんなに指示だしてくれる?」
「うぃ、じゃあ三年は俺が連れてくぅ」
「ありがと、助かる」
 お~、グラウンド行くぞ~と野田が大きな声でみんなに知らせながら離れていった。ガラガラと椅子を引きずる音が大きくなる。
「じゃ、オレ二年に伝えてくるわ」
 体育祭は縦割りで、一年、二年とも同じ団になる。教師はほとんど口を出さないため、下級生に指示を出すのは三年生の役目だ。
「私は一年生のとこ行く」
 影見が立ち上がって平井に告げた。こういうときのフットワークは案外軽い。二人並んで教室を出た。廊下では応援合戦で使う小道具をまだ調整している。間に合うのか、それ。
 
 気まずいというほどではないが、同じ方向に歩いていく影見になにを話しかけたらいいか分からなかった。こんな時になって、オレは影見日子のことをあまり知らないことに気が付く。高校で過ごす時間の7、8割はもう過ぎている。
「木下くん、ありがとう」
「…………ん?」
 大きな声ではなかったが、ざわめきにかき消されることなく耳に届いた。
「さっき」
 ああ、とようやく理解した。野田のことだろう。いや、今は野田のことはどうでもいい。
「オレ、ロンロンなんだけど」
 いや違う。キモいなこの言い方は。
「知ってるけど」
 ほら影見が引いてる! じゃなくて、いやそうなんだけど!
「や、ちげ、呼ばんの。クラスメイトだし、さぁ」
 この言い方もなんか嫌だ。でも、格好つけた言い方が思い浮かばなかった。現代文のマツダのかくばった姿が頭に浮かぶ。
「んー」
 影見は意外と長いまつげを伏せた。首筋にそってすとんと落ちる髪。顔の横でぴょんと跳ねている癖毛。影見日子ってこんな姿だったのか。
「呼ばれたい?」
 なんて、ロンロンって? 影見に?
 ――自意識過剰なのか?
 ――いや、駆け引きとかって雰囲気じゃない。ただ確認している。オレがそう呼ばれたいかどうか。
「ごめん、私、聞かなきゃ分かんなくて」
「影見、」
 変わってるな。けっこうまつ毛長いな。まりりんのこと「うみちゃん」って呼ぶのなんでだ? 階段を上がる直前で足を止めたオレを見て、影見も立ち止まる。不思議そうな顔がこちらを向く。一瞬の思案の結果、オレは日和る。
「後で手伝いに行くわ。二年のがサクッと終わりそうだし」
「ん、ありがとう?」
 なんとなくそのまま、答えずに別れた。「呼ばれたい?」あんまし呼ばれたく、ない。
 
「影見ってどんなヒト?」
 肩にタオルをかけて校舎の日陰で涼んでいる平井にそう尋ねたら、想像の百倍くらいけげんな顔をされた。天気予報では曇りらしかったが、いま頭上には青空が広がっている。つまり、暑い。つまり、体育祭当日のシゴトで駆けずり回っているオレたち三年にとってはかなりしんどい。
「どんなって?」
「いや、なんかこう、親友から見た影見ってどんなかなと……」
 親友、と口にした瞬間、平井は目を細めた。遠くのものを見るように、実際オレと視線を合わせることなく口を開いた。
「ヒコはあんま自分から喋らないから誤解とかされやすいけど、すっごい周りに気を遣うタイプ」
「ほぉ」
「昨日もさぁ、アタシってああいう絡み苦手なんだよね。見てたから助けてくれたんだと思う」
 あ、と平井は付け加えた。
「ロンロンが空気なんとかしてくれてホント助かったんだった。ありがと」
「いやそれは――」
 影見が割り込まなければ野田に助太刀しようとしていたことを知れば、平井は顔をしかめるだろう。汗が顎を滑り落ちていく。
「あ、待って。ヤベ、好きとかじゃないよね」
 平井が唐突に手のひらを突き出して早口で尋ねた。好き。好き?
「は、好き?」
「やめろ! 私の言葉で自覚とかするな! 違うからねそれ! 体育祭マジックでここ踏み荒らすのはちょっとマジで許されんわ解散!」
 どうやら平井はオレが影見のことを好きだと思ったらしい。誰が誰を好きとか誰が付き合っているとか、たしかにかなり気になる話題だ。が、影見をオレが? ないって、と笑うとそれはそれでめちゃくちゃ睨まれた。何なんだよ。
 
 体育祭は、4つある団のうち総合で二位だった。応援が二位で競技が三位。美術が一位。前日まで小道具を作っていた甲斐があったというわけだ。
 
 結局、今も影見はオレを「ロンロン」とは呼ばない。そもそも体育祭以降は話す機会もあまりない。
 単にノリが悪いんじゃない。彼女の言動には「ルール」があって、オレをロンロンと呼ばないのはどうやらそのルールに合った(っていうか、弾かれた?)からのようだ。
 あれ以来なんとなく影見を視界に入れてしまう。平井と一緒にいることが一番多いが、見ていると案外色んなヤツに話しかけられている。影見も普通に応じる。外ばかり見ている陰キャだと思っていたのはオレだけだったらしい。
 
 体育祭以来のチャンスが巡ってきたのは、秋にしてはまだまだ暑い、しかしもはや夏ではない、そんな放課後だった。
 教室はなぜか照明が付いていなくて、黄みがかった午後の光だけが窓から差し込んでいた。部活を引退したヤツはとっとと帰ったり、受験勉強のために図書室に行ったのだろう。ここにいるのはオレと影見と仲道というメガネだけ。珍しく平井はいない。野田は部活を冷やかしに行った。
「影見」
 現代文のプリントに手を付けていたらしい影見が顔を上げた。ちょっとキョロキョロして、前の机に浅く腰掛けたオレを見て口を開いた。
「木下くん、呼んだ?」
「呼んだ」
「なに?」
 用事。用件。ふつう、人は用事がなきゃ話しかけないのか。そうだった。
「あ、えと。影見って部活とか入ってたっけ」
 ちがう! もう三年生は部活を引退しているんだから、こんな時期の話題としては意味不明だ。
「帰宅部。籍は理科部だったけど」
「…………理科部?」
「籍だけ。人手がいる時だけお手伝いしてた。部活っていったらそれくらいかな」
 ひとつ、知らなかったことを知った。意外なような似合うような。どっちにしろ積極的に参加しているというよりは、「必ず部活に入ること」という決まりごとに従いつつ軽やかにスルーしているらしい。似たようなことをしている奴らはいっぱいいて、珍しいことじゃない。
「木下くんは?」
 プリントが一段落したところだったのか、影見はシャーペンを置いて頬づえをついた。
「バスケ。中学までサッカーだったけど、ここのサッカー部は髪型うるさいって聞いたから入れんくて」
「ふぅん。バスケは好き?」
「うーん……まあ、わりとかな」
 秋の風。白いカーテンがふわりと広がる。オレの髪も。天才の仲道が6Bの鉛筆を走らせるかすかな音。遠くで女子が笑った。もしかしてこれって、青春なんじゃないか。大人になって高校時代を振り返るとき、オレはこのシーンを大切に思うんじゃないだろうか。
「影見」
 視線だけで先を促される。
「オレの……オ、あ、か、髪型って、どう?」
 ちがう! 急になに聞いてんだ意味不明だろ。影見を前にするとオレはいつもテンパる。
「超cool」
 いや発音いいな。オレは笑った。つられて影見も目を細めた。
 なんだかごまかされた気になる(ごまかしたのはオレだ)。けれど、影見の内側に踏みこむ寸前で足を留められた自分に安堵した。影見は上げられた片足に気づいたのだろう。オレは足を引っ込めたし、影見も軽やかに避けた。それで終わり。
「ローンロン!かーえーろー」
 野田が引き戸のところで叫ぶ。
 風。広がる白いカーテン。仲道の6B鉛筆。影見日子。
 学校指定のサブバッグ、持ち手を肩に通しながら立ち上がる。
「じゃね、木下くん」
 影見がひらひらと手を振る。ちょっと照れて、オレも手を挙げる。そうしない選択肢はなくて。
 野田がニヤついている。顔がうるせえんだよ。
 
「影見ぃ、仲道もバイバァイ!」
 野田がブンブンと手を振ると、仲道はぴっしり直角に手を挙げて答えた。さすが、ノートから目は離さない。影見はいつもの無表情で控えめに手を振っている。

 ドサクサまぎれ、オレはもう一度小さく手を振った。

ロンロン(木下)

気になる男。

影見 日子
(カゲミ ハルコ)

説明しよう!団旗係とは、朝と体育祭後に団旗を掲げたり回収したりするだけの係である!仕事は少ないが当日朝に早く登校しなければならないためやや不人気な係である!カゲミ的には仕事が少ないのでオールオッケーです✌