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04. ショッピングへ行こう

 希妙ヶ丘と呼ばれているこの街は、実際のところは六万遍町(ろくまんべんちょう)という。戦後の区画整理に乗じて「希妙ヶ丘」という改名案が提出され、うやむやのうちに白紙に戻った。過去から現在に至るまでなんの疑いもなくこの地は「六万遍町」のはずなのだが、立ち消えたはずの「希妙ヶ丘」のほうが住民に親しまれているのだから不思議なものである。一説には大正のころ「奇猫ヶ丘商店街」が存在したことが理由と言われているが、町史にそういった商店街の記録はない。ただ、とある四辻に「奇猫ヶ丘」と刻まれた道標だけは現存している。
 さて、そんな小さな町のショッピングモールといえばもちろん「ホープ六万遍」。地元で知らぬもののない複合型商業施設だ。大型とは言いかねる。地元の高校生はたいていここのゲームセンターに世話になり、管理人のオヤジと日々、悲喜こもごものドラマを繰り広げている。一方でよくも悪くも地元密着型のこぢんまりしたショッピングモールであるからして、近隣の大学生たちにがこの施設に足を伸ばすことはほとんどない。一階に新装開店したばかりのコーヒーチェーン店には多少棲息しているが。

「というワケでホープに行くぞ、ナガモノ」
「意味が分からない」
 小柄な男に引きずられながら、長物曜二郎はうめいた。センパイを自称する同窓生は長物曜二郎にとって鬼門であり、さりとてまったく頭が上がらないほどではないという微妙な間柄である。長物は人並みにしっかりとした体格をしているが、意に介さないセンパイによってしっかと首根っこを掴まれていた。
「夏服が欲しいンだ」
 この上なく分かりやすい「意味」を提示されて、長物はため息をついた。公園に顔を出す火曜日や金曜日ならにこりと笑って振り切ることもできようが、あいにくの水曜日である。
「訂正します。『意義』が分からない」
「天気がいいからだ」
 不毛! 勢いづいたこの男に議論など通用しない。すべての有用性を飛び越えて、したいことをするのが自称センパイという存在である。長物曜二郎は達成目標を「逃げ切る」から「道連れを探す」に切り替えた。視界の端にちょうどいい男を発見したところだったので。
「センパイ、天気がいい日のショッピングは人が多いほうが楽しいと思いませんか」
「おう!」
「ですよねえ。えへへ」
 
 学舎の中庭で梅雨の先触れのような顔をして角川ホラー文庫を読みふけっている男――上河原猪蝶はふと身の危険を感じて視線を上げた。正面、問題ない。右舷異常なし。左舷異常――あり。帰ろう。一瞬のうちにそう判断して、上河原は黒いカバーの文庫本を閉じた。
「上河原!」
(俺を呼ぶな!)
 どうも、公園で話をするようになって以来、長物は上河原のことを友人だと思っているフシがある。上河原は心の中で舌打ちをした。冗談じゃない。そりゃあ、上河原とて誰かに友達だと思われるのは嬉しい。心を許せる友がほとんどいないはずの人間に「そう」思われたのならなおさらだ。しかし、誰もかれもに心を許さない男が地味な自分を特別に友人として扱ってくれる――なんて考えるほど上河原は甘ちゃんではない。きっと、陰気な上河原の雰囲気が人よけにちょうどいいのだろう。少なくとも今現在に限って、やっかい事を押し付けたい一心なのは手にとるように分かった。長物がにこにこ顔で連れてきた人物を見れば一目瞭然だ。腰を浮かして逃げを打つ上河原の肩にずっしりと両手が置かれた。いやだ、いやだ、やだ!
「ショッピングへ行こう、上河原」
 ああ、なんという。比較的大柄な長物の後ろからずんずんと歩いてくる自称センパイを見て、上河原は古書店をぶらぶら巡るというこの後の予定が消え去ったことを知る。
「というワケで行くぞ、ナガモノ、ジョウガワラ」
「意味が分からない」
「夏服が欲しい!」
 以下省略。センパイは陽気でガサツな笑い声を上げて男二人をホープ六万遍まで引きずっていった。
 少し離れて見守っていた華の女子大生たちはひそひそと言葉を交わす。
「なんでホープ? あそこ茶色の服しかなくね?」
「立地的にちょうどいいんじゃない? 一応近いし、セレクトショップみたいなんもあるし」
「立地が決め手の人間が買う夏服って、何色なん?」
 雪平京子は知らん、と流して去りゆく三馬鹿を見送った。何色であれ、人間が知覚可能な色域を超えることはない、はずだ。

 ×

「スタバかと思っていたな、ここ」
 そう言ってズッとタピオカミルクティーを啜った自称センパイは、上河原の無言の圧力によって沈黙した。ガラスで区切られた空間の外には、有名チェーン店とは似ても似つかないロゴが輝いている。
「……今さらだけど、夏服ってもっと夏になってから買えば良いんじゃねえの」
 上河原の指摘は、長物の(信じられない)という表情で黙殺された。お前だってさしたる興味は無いくせに、と喉元までせりあがった言葉は、「それなり」に上手くやっていく男の泥臭さを思ってなんとか飲み込んだ。
「で、今日は何が欲しいんですか」
 長物が本日の趣旨に沿って尋ねた完璧な質問は、自称センパイの「あ、ゲーセン行こーぜ!」の一言でたやすく薙ぎ払われ、長物は不自然なくらいにこにこ笑みを浮かべた。
 お互いにほんのりと精神的ツネりを加えながら、センパイを引きずって大きくはないアパレルショップへと向かう。女子大生をして「茶色の服しかない」と言わしめるホープ六万遍だが、少しは茶色以外の服も売っているのである。
「で、今日は何が欲しいんですか」
 恐ろしいほど先ほどと同じように、明るいトーンで長物曜二郎が繰り返した。

「ホープが好きだ」
「はぁ」
 フローリングの上をくるくると踊るように服を身体に当てながら、センパイは言った。当てた服を戻して、ワンサイズ大きいTシャツを迷いなくカゴに放り込む。
「解説してやろう。俺は地元民ではないからホープに思い入れなんかない、のに懐かしいと思う。なぜだ?」
「その話長くなります?」
「聞け! この懐かしさはな、中学ンときに潰れた地元のモールを思い出してるんだ。ゲーセンがあって、テナントがちょくちょく入れ替わって、末期にはくつ下たたき売りしてた」
「じゃあホープはマシな方ですね」
「いや一階のマキヤマスポーツでくつ下安売りしてただろ。終わりだ終わり」
 淡々と相づちをうった長物に、上河原は残酷な真実を告げた。自称センパイはおかまいなしに話を続ける。
「俺がホープに感じる懐かしさは、すでに無いものといずれ失われるものの間にあるホープ六万遍という存在のはかなさであるというわけだ。ホープ、スタバ、ドムドムバーガー、マキヤマ、お前たち、俺。時間という波が寄せては返すその中で生きている全存在のはかなさ、取り返しのつかなさ。を、固めて留めてタンスの奥にしまっておきたい衝動がある」
 長物と上河原はピタリと立ち止まった。
「怖い」
「怖いな」
 な、と長物が同意を返す。珍しく通じ合った二人は、自らの性質を告白したセンパイから少々距離を取った。当の本人は口を尖らせている。
「怖くない! お前たちがスマホでバシャバシャ無節操に写真を撮るのと何が違う! 標本を作るようなモンだろ!」
「いやあ、センパイのはなんかこう――」
「欲望を感じる。標本っつったら騙されそうだけどセンパイのは監禁欲求だと思う。俺だけがホープのよさを分かってる誰にも媚びるな的などこにも行くなって感じ」
「それだ」
 センパイは濁点まじりにうなり、黙りこくった。どうやら図星だったらしい。
「センパイは一見ゴリ押しで人生渡ってきた軽佻浮薄な人間に見えるのに目の奥笑ってない陰湿ストーカー的な気質があって怖いな」
 ぐさりぐさりぐさぐさり。センパイは発見した。逆接で繋がれた文章、どちらもが罵倒になることも、ある。逆接とは。
「上河原、今日機嫌がいい? よく喋るね」
 上河原は絶句した。少し楽しい――という思いを見抜かれ恥じたのだ。
「長物と上河原って仲悪いん?」
 いやあ、まさか! 長物はにこにこ笑っている。
 またしても互いの背中を斬りつけ合いながら、男たちはホープ六万遍の柱たるアパレルショップで喧々諤々、ついに三枚のTシャツとゴキゲンなサルエルパンツを得るに至ったのである。

 ×

 一方その頃くだんの公園では。
「あ、ハルコちゃんこんにちは~♡」
「こんにちは、雪平さん! 準備万端!」
「それなんだけど、今日ホープは三馬鹿注意報出てるからやめとこ~」
 立ち上がりかけの姿勢でハテナを浮かべたハルコに微笑みかけ、雪平は言った。
「今日はね、お姉さんが駅チカおしゃれ喫茶店に連れて行っちゃうぞ~」
 とたん、ハルコは目を輝かせる。経験上、雪平のセンスを深く信頼しているのだ。
「ホープの喫茶店も今度行こうね。ホットケーキセット美味しかったし」
「うん!」

センパイ

センパイだぞ!とは言うが浪人して長物たちとは同学年。「お前たちといると楽しい」の切り口をまちがえた結果、長物・上河原の中で「概念存在に監禁欲求を抱く男」になった

長物 曜二郎
ナガモノ ヨウジロウ

センパイのことは嫌いではないが困らされることが多い。
無敵の火曜・金曜以外は押し負けてなんだかんだと付き合わされる。

上河原 猪蝶
ジョウガワラ イチョウ

センパイに対しても平等にあたりが強い。
人見知りだが慣れた相手にはNOと言えるタイプ。