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03. 上河原恨み節

あいつはいつでも俺の上にいた。
いつでも輪の中心だった。
太陽の下を歩いていた。
俺は、長物曜二郎が大嫌いだった。

長物曜二郎とは幼馴染と言えなくもないが、小中高と同じところに通っていたという意味でだ。過ごした年月は長くとも、あいつは俺のことを歯牙にもかけていなかったし、俺も話しかけようと思ったことはない。
あの男は、勉強も運動も特別にすぐれた生徒ではなかった。得意科目でも学年一位には及ばず、体力測定でも人を驚かすような結果は出さない。中の上、上の下。だから、少しばかり努力すれば勝てそうな気がしてしまう。そんな気安さゆえか、長物には友人が多かった。

しかし、たくさんの「長物の友人」のなかで、彼のぞっとするような性質に気が付く人間はいったいどれだけいたことだろう――長物曜二郎は、誰ひとりとして己の頭上に頂かないまま学生時代を切り抜けつつあったのだ。
そんなことが可能だろうか。青春とは、だれしもが折れ曲がり、こうべを垂れ、人生に膝をつくまでの過程を言うのではないだろうか。それをあの男は、あれは、たった一人、誰にも折られず立っていた。柳のようにひっそりと、当たり前のようにただそこに。
俺がいくら勉学や体力作りに励んだとしても、長物はいつもほんの少し上にいた。服装、交友、たたずまい。同世代の人間が好むものを「へえ、そうなんだね」と笑って受け入れながら、自分は決して染まろうとはしなかった。彼の存在感はまるで彼自身がコントロールしているように自在で、それが俺の目にはひどく不気味に映った。

ある年の冬、雪平京子は彼にバレンタインのチョコレートを贈った。俺が密かに気にしていた女子だ。雪平は翌日、呆然としながら友人に話していた。

「信じられる? 箱をこう、タメツスガメツ? 感想聞いたら箱のことばっか。ほんと長物って意味わかんね」

照れ隠しじゃない? などと気休めを雪平の友人が言う。畢竟、中身に用などないのだろう。長物曜二郎は嘘つきでもないし、照れ隠しにふざけてしまうようなガキでもない。中身を無視して箱を褒めたというのなら、それが彼の真実だ。
(意味わかんね)
雪平京子の言葉は、その後もずっと俺の中で繰り返された。

さて、そんな意味不明な男が変わってしまったのは、大学に入ってしばらくたった頃だった。
とうとう大学までお揃いになった俺と長物には、相変わらず接点などない。学部も違えばサークルも違う。一年次の共通科目ではたびたび姿を見かけたが、ヤツの視界に俺など入っていないだろう。

俺と違って長物には友人が多く、大学に入ってからもたびたび遊びに誘われていた。くだらない誘いにも乗りながら、鬱陶しがられない程度に欠席を織りまぜる。ザンネン、今日長物くんいないんだぁ、ってな具合だ。腹立たしいほど「上手い」。バランス感覚といえば聞こえはいいが、あの男に限ってはどうだか。

そうして「上手く」生きていた男が突如としてバランスを崩した。確か、一年の夏休み明けごろだったように思う。俺は苛立った。これまでの長物は、変人なりに周囲に馴染もうとしていた。そのもくろみを見事に成し遂げるだけの観察眼があった。
それがどうだ、いまや付き合いの悪いただの大学生だ。長物曜二郎ともあろう者が!

その理由は、大学二年に上がってしばらくしたころに明らかになった。

「女子高生と遊んでたわ」

食堂の一角で、雪平京子が友人にこぼす。当然、彼女たちと俺という蠅が同じ卓についている訳ではない。県内の大学ゆえの弊害か、こうして構内で元同級生と出くわすことが多いのだ。高校時代のバレンタインには虚無を打ち返されてホームラン、なすすべもなくマウンドから降りた彼女だったが、相変わらず長物をよく見ていた。

「や、箱男のことはもうどうでもいいよホントに。ただ……」
「ほんとかぁ? じゃあ私が長物くんと仲良くなってもいいのぉ?」
「アホなんか アンタほんとに アホなんか」
五七五である。友人氏は呆れた顔で目の前の女を見つめてた。気持ち、分かるぞ、友人氏。
「……あ、アイス買っちゃお」
俺が勝手に共感していた友人氏が立ち上がると、それを追うようにして雪平も立ち上がった。あたし最近チョコミントハマッててさ。え、チョコミントって歯磨きの味しない? お殴り差し上げてよろしくて?――箸にも棒にもかからない雑談が遠のいていく。

長物、お前ってやつは、男子たちの憧れだった女の子から箱男なんて呼ばれてんだな。いささかの同情心を定食の味噌汁とともに飲み干した。
うん、美味い。

×

特に理由はないが、俺は長物の出没情報がある公園に来ていた。

特に理由はない。ただまあ、長物曜二郎という男の化けの皮が剥がれる瞬間を一等席で眺めていたい。その一方で、長物が女子と付き合うだの何だのにうつつを抜かす姿は、あまりにも彼自身の性質と結びつかなかった。俺は長物曜二郎が大嫌いだったが、それは彼が女子高生に手を出す馬鹿野郎だからではない。
長物と女子高生が目撃されたという公園は、母校近くの児童公園だった。それほど大きくはない。砂場で悲鳴じみた笑い声をあげる子どもたち、子どもにまとわりつかれながら話に興じる母親たち。穏やかな夕方だ。
不思議と俺も穏やかな気持ちになって、何をするでもなくベンチに腰かけた。それらしき女子高生や長物の姿は見えない。今日はもう来ないのかもしれない。それならそれで、本でも読むか。

と、鞄を探っていると、こちらに慌てて駆けてくる人影が見えた。あっという間に俺の前に立ったその男はらしくもなく息を乱して額の汗を腕でぬぐった。
「上河原! なんかこう……これくらいの変な女の子見なかった!?」
これくらい、といって頭ひとつ分小さな背丈を示した。「変な」ってなんだ。人のこと言えたクチかなどとツッコむ勇気はない。それよりも、と俺は思わず口を開いた。
「し、知ってんの」
「なに?」
「俺の名前」
聞きようによっては奇妙な問いに、長物は顔をしかめた。
「まあ、うん。じょうがわら、いちょう。覚えてる」
「はぁ? おぼつかねえなぁ。――雪平京子は?」
「知ってるよ。一緒の大学なんだから。中二……高二? で確か、箱……いや、なんだったっけ。お菓子をくれた人だ」
中二の冬だ。もらったのはチョコレート。俺は思わず声をあげて笑った。俺だったら、雪平京子からチョコレートなんかもらえた日には一生忘れられないだろう。それをこいつは「なんだったっけ」ときた。長物が怪訝な顔でこちらを見る。長物曜二郎を覆っていた不気味な霧がふいに晴れたようだった。長物曜二郎。こいつ、ちゃんとずっとおかしな男だ。
「あっ!」
長物が公園の入り口に向けて手を振った。
「ハルコちゃん!」
「ごめん、遅れた」
ハルコと呼ばれた女の子は淡々と謝罪した。充電してた、と言いながら鞄をさぐって携帯ゲーム機を取り出す。俺がよくプレイしていた、少し昔のソフトの画面が見える。
「友だち?」
「……上河原、デス」
一瞬ゲーム画面に気を取られ、返答はグズグズだ。けれど、ハルコと呼ばれた少女は俺の上ずった声を気にしたふうもなくペコリと頭を下げた。
「このゲーム、知ってる?」
「昔やってた。ハルコ、さん? は今それやってんだ」
「そう。いつもここで」
ここで、と言いながらペンキのハゲたベンチを指す。「たまに宿題。ね」「ねー」長物はかわいこぶって両手をあごの下にそえた。
うそも偽りもありそうにない。のほほんとして見えるところは二人ともよく似ていた。なるほど、この二人が友だちというのならそうなのだろう。

あーあ。意味わかんね。

残念なような安心したような、むず痒い気持ちで伸びをした。
「じゃあ俺、帰るわ」
「え、ちょい待ち。じょーがわらさん、これ通信したことある?」
「一応あるけど。え、無い?」
「ない……ナガモノ、ゲーム買わないんだもん」
「マジか。俺持ってる。やる?」
「いいの? じゃあえっと、」
あとこれと、これも。あ、これも! ゲームソフトを見せながら少女は目を輝かせた。
ゲームならば、ひょっとしたら長物の上に立てるのかもしれない。なにせ長物が一生懸命「人間らしく」遊びに誘われていた間、孤独にあらゆるゲームの経験値を積んでいたのが俺である。
「今度何するかとか決めといて。今見せてもらった分は大体持ってるから」
順番にやっていこう。そう伝えると、横で長物が口をとがらせた。「僕持ってないんだけど」。知らねえよ、ひとりごちながらも答えてやる。
「全員ソフト持ってなくてもできるヤツあんだよ俺がコントローラー二本持ちプレイヤーで命拾いしたなお前。てかなんで買わないくせにやる気満々なんだよ。買えよ」
「えー……ハルコちゃん付き合ってくれる? 僕おもちゃ屋って怖いんだよね。種類もよく分かんないし」
ハルコは微妙な顔をしていた。
ちょうど一週間後、このメンツで一番ゲームが上手いのは長物曜二郎だということが発覚した。俺は長物曜二郎が大嫌いだ。

上河原 猪蝶
ジョウガワラ イチョウ

長物曜二郎が嫌いだったが緩和された。
かと思ったがやっぱり嫌いだった。

長物 曜二郎
ナガモノ ヨウジロウ

男女の友情ってなに?友情に男女とかってあるの?
そもそも友情があんまり分かっていない。

影見 日子
(カゲミ ハルコ)

変な女の子らしい。